大西配列という誘惑

ほんとうについ最近、キーボードの配列のデフォルトを大西配列に変えました。

まだまだ練習中の状態でQWERTYより全然遅いし、正直いまの段階でいえることは特にないのだけれど。

それでもあえて言えることがあるとしたら、やっぱり「理想」って言葉は魅力的だよね〜〜〜ってことです。

慣れているからこそ、QWERTYって無駄が多いよなーというのは常々思っていて、いつか脱却したいと思っていました。

ただ、いくつかの障壁(主に世の中の標準から外れてしまうことのデメリット全般。特にVim!)もあり、惰性でQWERTYする日々…。

今回、重い腰を上げて移行に踏み切ったのに、これという明確な理由はありません。

はやく打とうとすればするほどもつれる指。少しでもはやく打つために役割を超えた範囲へ出張を続ける指(主に右手の中指と薬指)…。強いて言うなら、こういった積り積もった「現実」への不満のせい、なのだと思います。

現状、大西配列(もといQWERTY以外の配列)を諸手を挙げておすすめすることはできません。世の中はQWERTY配列を前提に合理的にできているからです(大西配列の「キーレイアウト」は合理的なのに。なんたる歪み!)。また、いまQWERTY前提の「合理」に対してなんとか折り合いをつけられても、将来的に押し付けられる「合理」すべてに対処し続けられる保証はありません。

だから、世の中が変わるその日まで、QWERTYを捨てずにもっておこうと思います。というか、ある程度合理を求めて生きようとしたらそうするしかない気がします。

それに、加えて言うとすれば。パソコンと出会ってからずっと付き合ってきた配列とお別れするのは少し寂しい。あと、最適でないがために、鍵盤の上をダンスのように動く指。効率的でない配列を効率的に入力するために考えられた運指、積み重ねられた先人の工夫。完全に捨て去るには惜しい理由がたくさんあります。

とはいえ、やはり「理想」は美しいし、どうしても追い求めてしまうものです。

理想を実現するためにやれることはやりたいし、でも郷愁は忘れずにいたい。

そんなことを考えながら、いまは大西配列でこの文章を打っているのでした。

← TOPへ戻る